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 人の子としてのニニギ


 最後に、この小論で描いてきたような降臨のイメージは、皇室に対しても天孫ニニギに対しても失礼ではないかと不快に思われる方も有るかもしれないので、若干補足したい。

 例えば神武天皇。実在の人かどうかはともかく、記紀のストーリーの中では最も重要な位置にいる天皇である。記紀の編者の立場で言えば出来るだけ偉大な天皇として描きたい、そういう人である。
 しかし、その神武にしても無敗だったわけではない。記紀共に詳しく伝えているように、ナガスネヒコとの緒戦では手ひどく負けている。一回一回の戦いは勝つことも有れば負けることも有る。記紀の編者から見てもそれは当然のことであるから、記紀ですら「神武といえども負けることは有る」という立場である。そのことが神武の偉大さを損なうとは考えていない。おそらくそれがノーマルな考えである。
 ニニギに関しては、「降臨」というモチーフを使った関係上そうした事情を敢えて明記はしなかったということであろうが、神の子ではない人の子としてのニニギに敗戦を想定したとしても、別に失礼に当たることではないと思う。その人に対する評価は一回一回の戦いの結果によって決まるのではなく、その人が最終的に何を成し遂げたかで決まる。

 例えば、中国の三国時代を代表する英雄の曹操にしても、赤壁では壊滅的な大敗を喫し、華容道での悲惨な山越えを余儀なくされた。
 三国時代の幕開けとなった有名な大戦が赤壁の戦いである。長江をはさんで魏と呉の軍が向かい合った。魏軍は80万とも100万とも号していたが、一方の呉軍は5万にも足りない小勢である。この呉軍を破ればそれで曹操の天下統一は殆んど成ったのであるが、呉の周瑜の火計の前にこの魏の大軍は壊滅し、曹操の天下統一の夢は挫折し、ここに三国時代が始まる。
 三国抗争のドラマの前半のクライマックス。中国史の上でも一つの転換点となる重要な戦いであるが、それはそれとして、この時の曹操はまさに散々である。華容道という山道まで落ちてきた時、彼に従っていたのは僅か数百騎だったらしい。その数百騎も、怪我と火傷と飢えと疲労と、まさにボロボロの状態である。しかも真冬の厳寒のさ中に雨にズブ濡れで、山道に入るとそれが雪に変わった。
 『三国演義』で、関羽がこのあまりにも惨めな曹操を討つに忍びず見逃してやったとしているのは、羅貫中の創ったフィクションで史実ではないようだが、この時の華容道の山越えが関羽でなくとも同情したくなるようなまさに悲惨な山越えだったというのは事実らしい。後からは追っ手が迫っているというのに、道は雨で至る所で寸断されている。それを遮二無二突き進むしかない。この山道を抜けた時、前記した数百騎は更に三分の一に減っていたという。前に見た西郷隆盛の突破行も壮烈だったが、この時の曹操の逃走行はそれ以上に凄絶である。曹操はボロボロになって、しかしともかく逃げきった。

 余談ながら、もしここで曹操が討たれていたら、魏の時代は来ず、そうなれば卑弥呼の遣魏使も無いから、我々が邪馬台国のことを知ることも無かったかもしれない。華容道での曹操の頑張りのおかげで今日の邪馬台国論争も有る。『三国演義』を読むとどうしても蜀びいきになるが、ここは、日本の古代史の為にも、逃げ切った曹操の方に拍手すべきなのだろう。

 それはともかく、あの曹操にしてこれだけひどい敗戦も有る。まさに記録的な大敗である。100万の大軍で臨んでわずか5万にも満たない小勢にボロ負けした。しかし、この一回の敗戦だけで曹操がダメ将軍とされることはない。曹操はこの時代を代表する英雄であり、魏王朝の始祖である。彼自身は皇帝にはならなかったが、その子の曹丕が献帝に禅譲させて皇帝になった。
 ニニギも同じであって、彼の生涯の中に仮に手ひどい敗戦が有ったとしても、それもそれだけのことである。神の子ではない人間としてのニニギは、神武がそうであったのと同じように負けることも有る。要は負けた後のことである。ニニギも曹操と同じくこの一回の敗戦だけでは挫けなかった。再起を図り、そして彼の子孫が結局は日本を統一した。重要なのはこちらの方である。
 一度の挫折も無く順調に国土統一の大業を成し遂げた人がいたとしたら、それは希有の幸運な英雄である。普通はそうではない。信長でも秀吉でも家康でも、何度も手ひどく敗れ命からがら逃げている。平穏に天下を取った人なぞいない。それが神の子ではない人間の歴史である。人の子としてのニニギに敗戦を想定しても別に失礼に当たるということではないと思う。彼の子孫が結局は日本を統一した。そのことは変わらない。

 
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