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 第六章 天孫落臨

 ニニギの旅は記紀のどこかにその痕跡を残している可能性が有る。そうした目で記紀伝承をもう一度読み直してみたい。
 まあ、そうは言ってもまるで雲をつかむような話ではあるが、取り敢えず神武や応神の周辺をデータ的にチェックすることから始めたい。

 もう一人の「伝説の大王」


 (表6-1、6-2)は直木孝次郎氏の著作(注1)から引用させて頂いた。各氏族の先祖がいつ頃『日本書紀』や『古事記』に登場したのかということをまとめた表である。尚、構成%はオリジナルの表には無く、私が追加したもの。

 左側の(表6-1)が『日本書紀』のデータであるが、一見して分かる通り殆んどの氏族の先祖が応神の時代までに登場している。これは、応神以前の時代が伝説の時代であることを示しているとされる。
 個々の天皇別に見ると、神武、景行、応神、この三人の天皇の時代に登場する氏族が45氏にも上り、全体の56%を占める。この三人以外の時期はパラパラであり、歴代の天皇の中でもこの三人が特に重要な位置にいる天皇だということを窺わせる。
 神武(応神)は王朝の始祖だから当然としても、景行もそれに匹敵する存在感が有る。仲々のものである。データ的には、景行の時代もまた多くの氏族の先祖が記紀に登場する「伝説の時代」であり、景行は神武(応神)にも匹敵する「伝説の大王」だということらしい。
 一方、崇神の時代に先祖が登場する氏族を見ると、こちらは意外なほどに少ない。崇神をお祭りしている神社が一つも無かったことと符合しているようである。その限りではデータは王朝交替説を支持しているように見えるが、もっとも、それにしては崇神王朝の中の一天皇にすぎない景行の存在感がひどく特異である。何か理由が有るのだろうか?

 中央の(表6-2)は『古事記』に関する同様のデータで、一見すると『書紀』のデータとかなり違う印象を受けるが、こちら『古事記』のデータは信頼性にはやや疑問が有りそうである。
 まず、欠史八代の間に登場する氏族が際立って多い。合計で87氏族も有り、全体の49%を占める。欠史八代の天皇の実在性は疑わしいが、『古事記』のデータは半分がその時期に集中している。怪しげなデータがそれだけ多いということは言えそうである。
 次に、皇系と非皇系を比べると、89%が皇系氏族である。これは、この当時の有力氏族の皇別神別の構成と比べた時にかなり奇異である。(表6-3)は『新撰姓氏録』に採録されている氏族の構成であるが、皇別氏族は四割強に過ぎない。『古事記』のデータは偏りもかなり大きいということである。
 念の為に前出の『日本書紀』のデータの方をこうした眼でチェックしてみると、欠史八代期に先祖が登場するのは11氏(12.7%)でこの程度ならまあ妥当なところであろうし、皇別氏族の割合は43.8%で『姓氏録』の構成とほぼ一致している。こちらの方はデータとしてまともなようである。
 『古事記』の記録はデータ的な信頼性は高くはないと見られるが、その『古事記』のデータに於いても、崇神の存在感の無いこと及び景行が重要な位置にいるということは変わらない。相当偏りのあるデータに於いてさえ、そういう傾向がはっきり現れる。同じ崇神王朝の中での景行と崇神のこの落差、何か理由が有るのか? 思い当たることと言えば、この二人の天皇の和風諡号である。

 (表6-4)は井上光貞氏の著作(注2)から引用させて頂いた。元正天皇までの歴代の天皇を、和風諡号の特徴によって井上氏はAからGまで七つにグルーピングされている。
 王朝交替説では崇神から仲哀までの五代の天皇を一つの王朝と見て、これが応神によって取って替わられたとするのだが、和風諡号の特徴ということからは、この五代は崇神・垂仁の二代と景行以下の三代に分かれる。崇神・垂仁(C群)はイリビコ天皇であり、景行以下(D群)はタラシヒコ天皇である。崇神王朝は俗にイリ王朝と呼ばれるが、景行から後はその意味で一寸異質である。
 前出のデータでも景行は崇神王朝の中でひどく特異だったが、和風諡号的にも崇神や垂仁とはつながらない。良く指摘されることであるが、このDグループの三人のタラシヒコ天皇にはかなり記紀の作為の跡が見られる。

 まず第一にタラシヒコ(ヒメ)という名称、これは後世的な名称とされる。古くは第六代の孝安もタラシヒコであるが、欠史八代の実在性は怪しいと見るなら、あとはずっと後世の天皇(舒明、皇極(=斉明))の諡号にしかこの名は現れない。
 第二に、『古事記』の各天皇記の書き出し部分で使われている称号、この三人のタラシヒコ天皇の称号がこれもまたひどく後世的である。
 『古事記』の各天皇記の書き出しは一つのパターンに従っている。「〇〇天皇、XX宮に坐して、天下治めたまひき」。神武記を除き他は全てこの形式であるが、各天皇についている称号までは統一されていない。(表6-5)に一覧表にしたが、命が最も多く、他に、王、御子、天皇が有る。タラシ三天皇についている称号は「天皇」。後の欽明と崇峻に有るだけで、古い時代の天皇には他に例が無い。当然ながら景行や成務の時代には天皇という称号は実際にはまだ使われていない。
 それに加えて、第三に、このタラシ三天皇の名が三人ワンセットで作られた名前のような印象が有ることである。
 景行の名がオホタラシヒコ、成務がワカタラシヒコ、仲哀がタラシナカツヒコ。大・若・中と揃っていて、しかも景行を除き名前の中に固有名詞の部分が無い。いかにも作りもの的な名前である。今までに見てきたことも併せて考えると、後世に三人ワンセットで作られた名前なのではないかとも思えてくる。しかし、仮に記紀の作為が有るとして、そもそも何の目的の為の作為なのだろう?

 実は、このタラシヒコ天皇には更にあと二つ、気になることが有る。
 一つは、このDグループの中で唯一固有名詞らしきものが残っている景行の名がオシロワケだということである。この名は、崇神や垂仁の名前とは何の関連性もないが、応神系の天皇とはワケを共有している。応神がホムタワケ、履中がイザホワケ、反正がミツハワケ。景行の名には応神系的な要素が有る。
 第二に、このタラシヒコ天皇の時代、一方に崇神や垂仁と同じCグループに属する名を持った有力皇族が平行して存在していることである。即ち、景行の兄に五十瓊敷入彦がおり、成務の弟に五百城入彦がいた。いずれも有力な天皇候補である。ところが、これはあまり指摘されていないが、タラシヒコ皇子はその全てが天皇になったのに、なんと、イリビコ皇子はたったの一人も天皇になれなかった!?
 100%対0%! これはまた際立った対照である。タラシヒコ皇子とイリビコ皇子、親からどういう名前を貰うかということが彼等のその後の明暗を分けたということのようであるが、どう考えてもこれはあまりに不自然である。

 この王朝を象徴する名は言うまでもなくイリビコの方である。対して一方は、タラシヒコも「天皇」の称号も後世的であるのに加えて、三人ワンセットで作られた名前のような印象が有り、しかも景行の名のオシロワケは崇神の子孫と考えるより応神の先祖と見る方がオサマリが良い。それが前にデータで見た景行の特異性と符合しているようにも見える。崇神王朝の中の単なる一天皇にすぎないはずの景行がデータ的には始祖崇神を圧倒する存在感を見せていた。
 崇神から仲哀までの五代の天皇が本当に同一の王統なのかどうか。ひょっとしてタラシヒコ天皇は崇神の子孫ではなくて応神の先祖なのではないか。なにしろタラシヒコ皇子が全て天皇になっているのにイリビコ皇子は誰一人天皇になれなかったというのである。後世の作為で応神の先祖を系譜に割り込ませた結果、崇神の子孫のイリビコが押し出されてしまったという可能性も有りそうである。

 別に突飛な想像ではない。実際、景行の時代の逸話には応神朝がらみの伝承と見られるものが結構多い。余談的ながら、有名なあの白鳥伝説にしてもそうである。
 遠い異郷に果てたヤマトタケルは、大和朝廷や父の景行を懐かしむ気持ちが非常に強かったので、その魂は白鳥になって大和に向かって翔んで行ったという。タケル伝説の最後のクライマックス、感動的なフィナーレである。しかし、この話、どうにも妙な部分が有る。
 というのも、この白鳥は、どういう訳か三輪山を通り過ぎて河内まで翔んで行ってしまう。考えてみると妙な話である。
 崇神王朝は俗に三輪王朝とも呼ばれる。崇神陵も箸墓も三輪山の麓に在るし、ヤマトタケルにとって懐かしい景行の朝廷も纏向に在ったとされる。白鳥はどうしてここを最終の地としなかったのだろう? どうも帰巣本能に狂いが生じていたようである。それで、間違えて河内まで翔んで行ってしまったのかもしれない。
 タケルの魂の帰って行くべき場所がどこなのか、これは白鳥伝説の骨格を為す部分だろうと思うのだが、それが河内だという。言うまでもなく応神朝ゆかりの地。応神陵も仁徳陵もここに在る。タケルの魂はそこに帰って行った。この白鳥、どうも三輪王朝の伝承ではなさそうである。<景行紀>にはそうしたものが色々混入しているらしいということであるが、これはまあ余談である。問題は、景行自身の伝説の中にもそうしたものが有るのか?ということである。

 (注1)直木孝次郎「河内政権について」
   (『巨大古墳と伽耶文化』角川選書 所載)
 (注2)井上光貞『日本国家の起源』(岩波新書)

 
  ー 目 次 ー  
 

表(6-1,2,3)
氏族先祖の登場時期






















表(6-4)
歴代天皇の和風諡号











表(6-5)
古事記
 書き出し部の称号




































<休憩室>
白鳥陵      河内

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