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 切迫した状況


 ニニギが降臨した時その地は既に平定されていたのかどうか? 記紀はそうだったとするのだが、実際はどうも違っていたらしい。それを伝えているのが「可哀そうなフツヌシとタケミカヅチ」の物語である。

 フツヌシとタケミカヅチは葦原中国の平定に活躍した神である。高天原きっての武闘派で、大国主に国譲りを強要し強引にこれを承諾させる。それに反対するタケミナカタは実力で諏訪に追い払った。タケミナカタも豪傑であるから実際にはこれ一つだけでも簡単なことではない。国譲りのまさに立役者。彼等の武勇は高天原に響き渡っていたろう。このフツヌシやタケミカヅチのどこが可哀そうなのだろう?
 それはこの話の後段である。彼等の努力により葦原中国は平定され、そしてニニギが降臨する。そうであれば、誰が考えてもニニギは出雲に降臨すると思う。もちろんフツヌシやタケミカヅチもそう思ったろう。そのために苦労して出雲を平定したのである。
 ところが、どうしたことか、ニニギはまるで方向違いの日向に降臨する。そして、その後のストーリーに出雲は全く登場しない。後に神武は日向から大和を目指すが、出雲は一顧だにせず瀬戸内海を東進する。彼等のあの苦労は一体何だったのだ! 他人事ながら気の毒である。

 冗談でなく、国譲り神話と降臨神話はまるでつながりが悪い。何故こんな妙なことになっているのか、三品彰英氏は、本来は「高天原〜降臨〜日向」が一連のストーリーだったのだが、後にそこに国譲り神話が追加挿入されたからだと見ておられる。要は、出雲平定伝説とニニギ伝説は元々は何の関係も無い全く別々の伝説だったということらしい。確かに、そう考えないことにはこのつながりの悪さは説明がつかない。
 降臨に先立つ葦原中国の平定、本来のニニギ伝説にはそんな話は無かったということである。官製神話の編者としては平定されてもいない「邪神の国」にニニギを降臨させるわけにもゆかないので、それで降臨の前に国譲り神話を配したのだろうが、それにしてもまたひどく粗雑な作業をしたものである。ストーリーの流れを無視してまるで方向違いの出雲平定の伝説をそのままここに挿入した為に、木に竹を継いだような全く支離滅裂な話になってしまった。
 逆から言うなら、日向を舞台にした国譲り伝説が実際には存在しなかったということである。そうしたものが有ればそれをここに使ったはずである。日向が平定されたという話は、伝説としてでも後の景行の時代になるまで登場しない。その後の仲哀の時代でさえ、日向はまだまつろわぬ者達の土地である。

 本来のニニギ伝説とはどういうものだったのか、それが段々はっきりしてきた。降臨の地が既に平定されていたとするのは後世の追加であって、元々の話にはそんな要素は何も無かったというのであれば、これはかなり悲壮感漂う降臨である。
 記紀は降臨すべき地を何故かオドロオドロしい邪神の国として描いていた。「皇孫が統治すべき地」という美辞が白々しく浮いて見えた。(B)グループの伝承でさえオシホミミは降臨に尻込みしていた。それも道理である。そこはまだ平定なんてされていない蛮族の地だったということらしい。

 そうであれば、そのニニギが軍勢を率いていないということは、やはり異常に映る。こういう地に向かうのであれば、クマソ征伐の景行や仲哀と同じように、普通は大軍勢を率いて行く。軍勢がいないのであれば、普通はそんな所へは行かない。
 呉太白もニニギと同じく蛮族の地へ向かったが、この太白のケースもニニギとは違う。彼は周人としての過去を捨て、以後の人生を荊蛮として生きる決心をしてその地に向かった。それで、断髪し、文身もした。太白の行動には彼の意志が明白であるが、吾田に向かったニニギの旅にはニニギの意志が感じられない。
 ニニギの周りに軍勢はいない。行手にはオドロオドロしい世界が待っている。神話を離れても、実際にもそこはニニギにとって未知の蛮地である。普通なら先へは進めない。それを進んだというのであれば、そのニニギの背後には、彼の背中を押すような、何か深刻な切迫した事情が有ったのではないか。
 降臨伝説から後世的な要素を排して、本来的な伝承要素だけでニニギの降臨を復元してみると、それは「降臨」という言葉の響きから普通にイメージされるものとはかなり違う。軍勢も無く自分の意志でもなく蛮地に向かうニニギ。この伝承を色で表すなら、それはどう考えてもバラ色ではなく、限り無くブルーである。

 別に私一人の勝手な想像ではない。『日向国風土記』逸文はニニギが降臨した時の状況を次のように伝えている。
 「時に空暗冥(くら)く、夜昼分かず、人物道を失ひ、物の色別き難かりき。」

 これはまた、物凄い世界である。『風土記』逸文では、この時ニニギが稻籾を撒いたら空が明るくなったとしているが、そんな魔よけの呪術のようなことをしなければ先へ進めない地。ニニギの心の中には不安が渦巻いていたろう。それがオシホミミが降臨に尻込みした地である。

 「日向には降臨したくなるほどの魅力が無いから、ニニギ伝説には全くリアリティが無い。」といったプルの側からの神話批判は、どうも発想の方向がまるで違っているようである。記紀は最初から降臨の地をそうした魅力的な地として描いていない。
 ニニギは吸い寄せられるように日向に向かったのではなく、背中を押されるようにしてやむなく前に進んだのだと思う。そう考えてはじめて、今まで見てきたことが一本の線につながる。

 プッシュの要因による移動、それは別に珍しいことではない。戦争、天災、飢饉、民族間の抗争、宗教上の迫害。今日の欧米を揺るがしている難民問題然り。現代の世界に於いてもこうした事例は気が重くなるほどに多い。歴史を遡上れば尚更である。

 古代の日本も例外ではない。日本だけが平和で牧歌的な世界だったわけではない。考古学は弥生時代が戦乱の時代だったと見ているし、<倭人伝>は邪馬台国と狗奴国が戦っていたと記している。記紀も、神武東征や出雲平定やクマソ征伐等の多くの戦いが有ったと伝えている。ニニギが降臨したのもそうした時代である。
 ニニギを降臨に押し出したプッシュの要因とは実際には何だったのか? それはまだ何も分かっていないが、抽象的に漠然と考えてみてもそれは分かりようがない。ここから先はニニギの降臨についてもっと具体的な材料が必要である。例えばニニギが歩いた道。もしもそれが復元出来るものなら、そこから降臨について何か具体的なイメージが得られるかもしれない。

 
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