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 プッシュの側からの発想


 畿内説や東進論の人達が問題視するニニギが日向に向かった動機。ひょっとして、この「動機」という発想に落とし穴が有るのかもしれない。ニニギの降臨に関して、政治神話という性格の強い(B)グループの伝承群はそれをありのままに記すことを明らかに避けていた。

 大林太良氏はかつて「邪馬台国は東遷したか」というシンポジウムの中で、従来の議論は東遷が有ったか否かという問題に集中してきたが、東遷にあたっての要因が何であったのか?という考察が必要だということを指摘され、「私はここで問題の要因をプル(引き込み)要因とプッシュ(押し出し)要因とに整理して考えることを提案したい。」と述べておられる。プルとプッシュ。ニニギについて考える時にも氏のこの指摘は非常に示唆的だと思う。

 日向には降臨するほどの魅力が無いと言う人は、降臨がプルの要因で生じたと最初から決めつけている。もしも天神の子がこの日本を治める為に本当に空の上から降りてきたというのであれば、確かに日向はそれにふさわしい地とは言えない。しかし、ニニギが本当に「神の子」だったのかどうか。神の子ではない人間の歴史は、必ずしもプルの要因のみで動いているわけではない。
 プッシュの側からの発想。大林氏のこの指摘は実際には神武東征についてのものであるが、確かに神武に関する議論に於いてもこうした視点はスッポリ抜け落ちている。この小論の主題にとって非常に重要な指摘であるので、話がニニギから少し離れるが先ずは神武の方から簡単に見てみたい。

 神武東征に関して記紀はプッシュの要因は全く何も記していない。話を蒸し返す意味ではないのだが、実はこれも邪馬台国東進論に対する大きな疑問の一つである。
 邪馬台国のような国が大和の地に魅力を感じた場合、これを併合しようとするのが普通である。九州邪馬台国が版図を拡げていって最終的に大和を併呑したという話であれば分かる。しかし神武伝説はそうではない。神武は本拠地を捨ててきた。目的地の大和はまだ平定されていない。そんな段階で、単に「大和の魅力」というプルの要因だけで邪馬台国ほどの国を簡単に捨てるだろうか?
 仮に神武東征が邪馬台国東進の神話化だとするなら、この時の神武には、大和の魅力というプルの要因とは別に、邪馬台国を出なければならなかった何等かのプッシュの事情が有ったはずである。それが有ってはじめて歴史を動かす力学として納得出来る。記紀は明記していないけれども、その事情、それが分からないことには神武伝説は本当に分かったことにはならない。それが大林氏の指摘である。

 (蛇足ながら、東進論の人は「東遷」と言葉は変えているのだが、言葉だけ変えてみても何も変わりはしない。神武は戦って大和の地を手に入れた。実際の伝説が伝えるものは「東遷」なんてものではなく、文字通り「東征」である。)

 大林氏のこの指摘が実はこの小論の出発点なのだが、神武を東征に押し出したプッシュの事情については後で更めて触れたい。当面の主題はニニギである。
 目的地が大和のような「甚吉き地」であっても大林氏はプッシュの要因の考察が必要だと言われる。ましてニニギが向かった先は辺境の蛮地。しかも政治神話という性格の強い(B)グループの伝承群がこの伝説の骨子部分について黙秘を決めこんでいた。神武伝説以上に、ニニギ伝説こそプッシュの側からの発想が必要なのであろう。それは、ニニギと同じように蛮地に向かったとされる人の伝説を見ても分かる。

 ニニギと同じような伝説を残している人として即ぐに頭に浮かぶ人に、例えば呉太白がいる。彼が蛮地に向かった事情は『史記』によれば次のようである。
 太白と弟の仲雍は周の太王の子で、王の季歴の兄である。季歴は賢明で、その子の昌には聖人の相が有り、太王は家督を季歴から昌へ伝えたいと望んでいた。それを知った太白と仲雍の二人は荊蛮の地に出奔し、文身断髪して荊蛮の風習に染まり、周の祭祀を司る資格を自ら放棄した。この結果、太王の希望通り、季歴から昌へと家督が継承された。
 この昌が後に文王と呼ばれる名君になり、その子の武王が殷を倒してここから周の時代が始まるが、一方、荊蛮の地の人はこの間の事情を知って太白を仁義の人と認め、その義に感じて彼に従属し、頭首として仰ぎ、呉太白と称揚したという。孔子もまた太白を「至徳の人」と激賞している。

 「蛮地へ向かった貴人」という伝説にはニニギを想起させる部分が有り、天皇家はこの太白の子孫だとする周知の皇祖太白説が有る。『史記』によれば太白には子供がいない(呉王家は弟の仲雍の子孫)ので実際には成り立ちようもない説であるが、この太白の伝説、ニニギの事情を考える時には参考になりそうである。
 この太白伝説について、「荊蛮の地にどういう魅力が有ったのか?」という角度からいくら考えても太白の心は見えてこない。太白と仲雍が荊蛮の地に向かったことにプルの要因は何も無い。周にいるわけにはゆかないというプッシュの事情が彼等を蛮地へ行かせた。
 神話のニニギもまた蛮族の地に降臨している。もし彼が神の子ではなくて「人の子」だったとするなら、太白や仲雍と同じように、ニニギもまたプルの要因ではなくひょっとして何かプッシュの事情で降臨したのかもしれない。特に魅力も無い地への降臨、考えられる状況としてはそうしたことであろう。

 もちろんこれだけでは単なる想像である。問題は、そうしたことが記紀伝承の中から実際に何か窺えるか?ということである。
 実は、「窺える」どころの話ではない。これは、そういう眼で記紀を更めて読み直してみれば即ぐに分かることであるが、記紀の伝えるニニギの降臨は、それがプッシュの要因による降臨だったとしか読めないのである。実際の記事でそれを確認してみたい。

 
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