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 大陸に続く道


 崇神の来た道、取り敢えず伊都国までは辿れたが、問題は伊都国の先である。
 大和朝廷の源流は半島や大陸に在るという見方が色々有る。北九州は大陸から日本に来る時の入口で、伊都国はその中心。<倭人伝>によれば魏の使者も通常はここに滞在していた。魏の使者に限らず渡来人も多く住み着いていたろう。崇神一族にとって伊都国は単なる途中の通過点で、彼等の来た道は伊都国の先に更にずっと続いている可能性も大きい。
 実際、それを窺わせるような伝承も有る。例えば伊覩県主祖の五十迹手。天日槍の子孫とされるが、その天日槍は新羅の王子を自称していた。王子というのが事実かどうかはともかく、おそらく半島から来た渡来人だったのだろう。五十迹手の源流は半島に在るということらしい。伊都国の土地柄からしてもこれはいかにも有りそうな話である。

 神話世界にも五十猛という「五十」の名を持つ神様がいる。『日本書紀』の一書によれば、スサノオ神に従って新羅に降臨し、後に日本にやって来た神様だという。
 「はじめ五十猛神が天降られたとき多くの樹の種子をもって下られた。しかし韓の地にはうえないで、全部もって帰られた。そして筑紫からはじめて、大八洲国全体にまきふやしていってとうとう国全体を青山にされてしまった。だから五十猛命を有功の神というのである。」
 この伝承によれば五十猛神もまた半島から北九州にやって来たようである。かつての伊都国の領域である前原市近辺には白木神社が四社有る。白木は新羅とのことだが、その祭神が五十猛神だという。やはり、五十や伊都国にはどうも半島の影がついて廻る。「フツ」の語にも朝鮮語起源説が有ったし、五十族の来た道は北九州の先更に半島へと続いているのかもしれない。

 崇神の源流と応神の源流の交わる所が高天原、つまり天皇家の原郷であるが、一方の応神の側では、神功の母の葛城高額姫がこれもまた五十迹手と同じく天日槍の子孫とされる。架空の神功の系譜ではあるのだが、多少気になる部分も有る。
 応神以降『日本書紀』には半島関係の記事が急激に多くなる。半島との間で極めて密接な交渉が始まったようである。阿知使主、王仁、弓月君等、来帰する渡来人の数もこの時期から急増する。また、半島側の史書に大和朝廷の人の名が登場する初出は『百済記』の沙至比跪(葛城襲津彦)であるが、言うまでもなく応神朝の重臣である。そして彼の主要な活躍の舞台がこれもまた朝鮮半島である。
 応神朝期になって急激に半島との関係が増すのは、記紀の記載に即して言うなら神功の新羅征伐の結果だということであるが、応神の源流が半島に在ったからではないかと見る人も有る。渡来人の大量の来帰といったことからは、そうした見方も一定の説得力が有るようにも見える。

 しかも、更に視点を広げるなら、朝鮮半島もまた途中の通過点にすぎないかもしれないということになる。周知の通り、天皇家の原郷は大陸のもっと奥だとする見方も有力である。
 即ぐに頭に浮かぶのは例えば騎馬民族征服王朝説である。北方騎馬民族の地からやって来た天孫族集団が日本に征服王朝を建てたとするこの騎馬民族説、スケールの大きな、まさにロマン溢れる仮説である。一方、逆に南の呉越の地に天皇家の原郷を考える人もまたいる。実際、応神朝には越的な要素も色濃い。天孫族は南から黒潮に乗ってやって来たとするこの越族説、こちらもまたロマンに満ちた魅力的な構想ではある。
 北か南か、簡単には決着しそうにない。半島だけならばまだ的の絞りようもあるが、大陸にまで視野を広げるとなると、大陸の北から南まで高天原の候補地は拡散してしまって、ここから先はもう「イソ」といった手掛かりだけではとても追いかけられそうにない。せっかくここまで崇神の道を辿ってきたのに、これでは残念ながらここで立往生である。

 しかもこれは天皇家の原郷が本当に大陸に在るとした場合の話であって、当然ながらそれと違う見方もまた色々有る。
 応神は実際には南九州からやって来た。その南九州こそが応神の原郷だとする応神狗奴国人説も有る。この狗奴国、邪馬台連合の南に在って邪馬台国と戦っていた国であるが、この国名のクナがクマ(球磨)に通じクマソを連想させる。もし狗奴国がクマソの国だったのであれば、日向から来た応神とピッタリ場所が合っている。
 水野祐氏の元祖王朝交替説では、応神の東進とは狗奴国の東進で、それは実はクマソの東進だったとしている。応神朝期の南九州の繁栄は明白な事実であるし、応神朝とクマソ(隼人)の強い結びつきも周知のことである。応神本人がクマソだったというのであればそれがスッキリ直線的に説明出来る。辺境の蛮地からやって来た強い勢力、応神の性格とも符合している。

 大陸だけで既に的が絞れないでいるのに、それに加えて南九州もまた有力な候補地だというのでは、これでは高天原を特定するのは大変なことのようにも思えてくるが、まあ立往生していても始まらない。騎馬民族説にしろ越族説にしろ或いは狗奴国東進論にしろ、どれもそれぞれ魅力的な説ではあるのだが、同時に、それぞれ簡単には納得しづらいという部分もまた多い。要は、知りたいのは崇神の源流と応神の源流の交わる所。そうであれば、もっとシンプルに考えても良いのではないかと思える部分も有る。

 
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