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 八咫鏡の素性


 見てきてように伊勢にはニギハヤヒ(崇神)の影が濃い。そうした伊勢の風土が凝縮されているのが伊勢神宮である。
 くり返しになるが、神宮の縁起によれば崇神朝ゆかりの人達の建てた宮とされ、実際、その神官は三氏が三氏全て記紀ではなく『旧事本紀』の世界にその源流が在るという氏族伝承を伝えていた。その彼等がお祭りしていた八咫鏡が元を辿れば伊都国の鏡らしい。崇神とニギハヤヒと伊都国、三つのイソが全てこの神宮と深く関わり合っている。これでは伊勢神宮というより「イソ神宮」。冗談のようだが別に冗談ではない。この神宮の起源が実際にそのイソ宮なのである。

 考えてみると伊勢神宮とは不思議な神社である。皇祖神を祭る神社でありながら、神武(応神)やヤマトの名とつながる要素はサッパリ見当たらず、イソの要素ばかりが有る。皇祖神を祭る地にはなんともミスマッチに映る事実であるが、逆に言うと、この地に皇祖神の在ることの方こそがミスマッチなのかもしれない。「伊勢は皇祖神」という常識を一度忘れてみることが必要なのかもしれない。

 そもそも伊勢神宮とは本来どういう神社だったのだろう?
 伊勢が皇祖神として信仰されるようになるのは早く見ても雄略朝期あたりからだろうとの見方が有力であるが、その時に突然に出現した神社ではないらしい。雄略朝期説を初めて説えたのは直木孝次郎氏のようであるが、氏によれば、ここはそれ以前は日の神として信仰されていた地方神だったという。皇祖神となる前の伊勢神宮前史、イソ宮の伝説は実はそれを伝えていると考えて良いなら、伊勢の地の特異な風土がスッキリ理解出来る。
 というのも、この伊勢神宮縁起、皇祖神に関する伝承と見るには元々かなり妙なのである。

 <垂仁紀>によれば、 天照大神は大倭大国魂神と共におられることを我慢されずに、大和から伊勢に移られた。
 アマテラスは後世的な神格であるから、この伝承の主人公がこの名で呼ばれるようになったのは後世のことである。また、垂仁の時代の大和に大倭大国魂神は未だ登場していないので伝承の時代背景も本当に垂仁の時代のこととは思われないが、要は、この伊勢神宮の神(八咫鏡)は、ヤマトの神を嫌ってこの伊勢にやって来たという伝承を持った神である。ヤマトの神と折り合いの悪い神だったというのであるから、本来が皇祖神だったようにも思えないということである。
 倭姫の旅の伝説もそれと符合している。彼女は、八咫鏡を守って、ヤマトから伊賀・近江・美濃と各地を転々とし、最後に伊勢に辿り着いたという。皇祖神が皇都を出て未知の地に安住の地を求めてあても無い旅をしたというのは、これもどう考えても妙である。やはり、「伊勢は皇祖神」という常識を一度忘れてみることが必要のようである。
 この倭姫の旅、皇都が無事なら普通はこんな旅はしない。逆に言えば、彼女の旅の伝説は、仮にこの伝説の背後に史実が有ったとするなら、この時大和の地に何か大変なことが起きていたことを示唆している。その倭姫は垂仁の皇女とされ、実際にもこの神宮には崇神(ニギハヤヒ)の影が濃い。実際の歴史の中で大和の一大事といって限られるし、しかも大倭大国魂神がらみ。となると、その一大事なるもの、或る程度見当がつく。

 大和の地に大倭大国魂神が現れたのは、大倭国造家が大和郷の主になった時、即ち征服王応神が大和に現れ、崇神から始まる王朝が滅びた時である。その動乱の中、ヤマトの神を避けて八咫鏡を奉じて大和から伊勢に逃れた集団が有った。そう考えるなら色々なことが符に落ちる。

 別に奇をてらった話ではなく、今まで見てきたことからのそれが自然の帰結である。伊勢神宮が崇神朝ゆかりの人達の建てた宮とされていることも、神宮の神官三氏の氏族伝承も、倭姫の旅の伝説も、それで全て話の辻褄が合う。
 前記したように、皇祖神が皇都を出て未知の地に安住の地を求めてあても無い旅をしたというというのはどう考えても妙である。皇都が無事なら普通はそんなことはしない。一方、これが崇神王朝滅亡の時のドラマだったというのであれば、彼女の旅の意味が素直に理解出来る。陥落した大和を逃れて八咫鏡の安住の地を求めての旅、それであれば話は分かる。そして、実は伊勢はそういう時にまさにピッタリの土地である。この当時応神の力がまだ伊勢に及んでいないということも有るが、それだけではない。
 伊勢神宮(内宮)から南に山を越せば磯部町(伊雑郷)であるが、この山の中には平家の落人の隠れ里が有った。時代が下がってもそうした状況の時に選ばれている土地である。そうであれば、五十鈴の川上に八咫鏡を「遷坐」したという倭姫の事情も想像がつく。似たような状況にあったということなのであろう。

 八咫鏡は現在はアマテラスのイメージとあまりにも強く結びついている為にやや唐突に映るけれども、この鏡は本来は崇神朝の神鏡だったのではないか。伊勢が皇祖神になったのは時代が下がると見るのが通説であるし、八咫鏡がヤマトの神と折り合いが悪かったという伝承にしても倭姫の旅の伝承にしても、それで初めて話の辻褄が合う。
 この鏡がアマテラスと結びつく以前から既に日の神として信仰されていたということもそれを裏づけている。『旧事本紀』はニギハヤヒをアマテル神と呼んでいる。分かってみればコロンブスの玉子。ニギハヤヒ自身がまさにその日の神なのである。
 伊勢神宮は崇神朝ゆかりの人達が建てた宮だとする正史の伝承は大筋では信用して良さそうである。伊勢の風土と皇祖神、最初から何ともミスマッチな印象の有る取り合わせだったのだが、やはり伊勢は本来は皇祖神ではなく、皇祖神となる以前はここは崇神(ニギハヤヒ)ゆかりの人達が伊都国の鏡をお祭りしていた神社だったらしい。冗談でなく本当にイソ神宮だったということのようである。これで伊勢のパズルが解ける。

 その八咫鏡が天皇家の手に渡り伊勢が皇祖神に変わったのは通説の言うように少し時代が下がると見られる。『日本書紀』には雄略期に伊勢服属の説話が集中しており、倭姫、これは彼女の本名ではなく本来の名はナントカイリビメで、ご本人は「倭姫」と呼ばれるのは不本意だろうが、彼女の伝説の中にもそうしたことを感じさせる部分が有る。『倭姫命世紀』は彼女が雄略二十三年に亡くなったと記している。
 垂仁の皇女が雄略の時代まで生きていたはずもなく、まるでデタラメな話だとして酷評されることも多い記事であるが、『倭姫命世紀』は史書ではなくて宗教書である。倭姫とは一人の人の名ではなく、この鏡を守り継いだ多くの女性の総称だと見るなら、これは逆に胸に重く響いてくる話である。
 一度は伊勢に逃れたものの、結局はその伊勢も制圧され、八咫鏡も天皇家の手に渡った。倭姫の死とは、この鏡を守り続けてきたこの集団の祭祀の終焉を暗示しているのかもしれない。倭姫の心情を想うと心が痛むが、その倭姫の死が雄略の時代。伊勢の服属はこの時代だったとする正史の記事とも不思議に符合している。

 話が少し脱線してしまった。伊勢の服属、そこにもまた色々なドラマが有ったのだろうが、それはこの小論の主題ではない。知りたかったことは崇神(ニギハヤヒ)の出自である。要は彼等の名前の頭に有る「イソ」、それが本当に伊都国を指しているのかどうかということだったのだが、少し展望が開けてきた。それを解く鍵はどうも伊勢に在ったようである。
 伊勢はまさにイソの国であるが、その伊勢のイソは伊都と直結している。伊勢志摩と怡土志摩(糸島)の音の類似はハンパでないし度会郡にはそのものズバリの伊蘇郷も有る。象徴的には八咫鏡。ウリ二つの巨大鏡が伊都国から出土していた。八咫鏡は元を辿れば伊都国の鏡と見られるが、伊勢に色濃い伊都の要素を考えると、鏡だけが単独で流通してここに来たのだとも思えなかった。
 いつの時点かにこの神鏡を伊勢に運んだ伊都国人の集団が有ったのだろうということであるが、この鏡を伊勢に運んだのは崇神朝ゆかりの人達だったとする正史の記載は大筋では信用して良さそうである。となると、伊勢にイソ(伊都)の要素を持ち込んだのも彼等だったのだろうということになる。伊都と伊勢のつながりをそのまま体現しているような八咫鏡、それが同時に伊都と崇神(ニギハヤヒ)の関係も示唆している。
 崇神やニギハヤヒの名前の頭に有る「イソ」、それを伊都国と結びつけて考えるのは必ずしもゴロ合わせのコジツケではないのかもしれない。五十迹手は実際にも伊都国人であるし、彼等の名前の頭の「イソ」が伊都国を指している可能性も大きいということであろう。現段階ではまだ多少の想像を含む話であるが、次節で違う角度からも検証してみればこれはよりハッキリする。

 先へ進む前に、全くの余談ながら、
 この章のタイトルに使っている写真は、二見ヶ浦と夫婦岩である。と書くと、「えっ?!」と訝しく思われる人もいるかもしれないが、これは糸島市志摩町の二見ヶ浦と夫婦岩である。この縁で糸島の志摩町と伊勢の二見町は姉妹自治体になっているという。二見ヶ浦や夫婦岩は一般名詞でこの二ヶ所以外にも有るようだが、いずれにしろ、糸島と伊勢志摩の繋がりは私の考えている以上に深いようである。

 やや舌足らずであるが伊勢についてはこれで一区切りとしたい。この小論の主題は伊勢ではなくて大和である。崇神(ニギハヤヒ)が都したのもその大和である。そうであれば、大和にもイソの要素が有るはずである。
 
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<休憩室>
倭姫
和紙人形 阿部夫美子作

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