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 第三章 崇神とニギハヤヒ

 神武とは実は応神だと分かっただけでは、神話がニニギノミコトと呼んでいる天皇家の先祖の来た道は未だ見えてこない。それを考える手掛かりは、残るもう一人の神天皇の崇神に在ると思う。前節末尾で触れたように、ニニギの故郷を知っているのが実は崇神ではないかと思われるからである。

 奪われた国の伝説


 先ずはニギハヤヒ伝説を簡単に確認しておきたい。一口にニギハヤヒ伝説と言っても、伝承によって内容に小異が有る。
 『日本書紀』の伝承では、日向に降臨したニニギとは別にニギハヤヒは最初から真っ直ぐ大和に降臨し、そこで土地の豪族ナガスネヒコの妹を娶り大和の大王になる。そこに日向から神武がやって来て戦いになるが、ニギハヤヒが神武に降伏し、ナガスネヒコは滅びる。
 一方、『古事記』のストーリーでは、神武がナガスネヒコを滅ぼした後に、後を追う形でニギハヤヒが降臨して来る。そして、神武の家来になる一方でナガスネヒコの妹を娶って物部氏の始祖になる。

 両書の伝えるニギハヤヒ伝説は少し違うが、『日本書紀』の方が伝承としては信頼度が高そうである。それは、『先代旧事本紀』とか『古語拾遺』といった他の史書も『日本書紀』型のニギハヤヒ伝説を伝えており多数決ではこちらが優勢だというだけでなく、『古事記』の伝承には色々と不合理な点が多いからである。
 日向に降臨したニニギを追って大和に降臨して来るというのが妙であるし、ニニギが降臨して三代もたってから後を追って来たというのも変であるが、そうしたこと以上にもっと分からないのは、そのニギハヤヒがナガスネヒコの妹を娶ることである。

 『日本書紀』や『旧事本紀』のストーリーでは他所者のニギハヤヒが大和に定着するために土地の豪族と姻戚関係を結んだということで素直に理解出来るのだが、『古事記』のストーリーではこの時にナガスネヒコは既に滅びているのでそうした政略結婚的なメリットは何も無く、逆に大変なデメリットだけが有る。
 ナガスネヒコは神武の兄の五瀬命の仇であり、神武の憎悪の対象である。神武の新参の家来になったニギハヤヒが一方でわざわざ神武の不興を買うようなこんな縁組みは普通はしない。
 ニギハヤヒとナガスネヒコの連合が先に有ったとする『日本書紀』や『旧事本紀』の伝承の方がどうも信頼性が高そうである。それが物部氏自身の伝承でもあるし、多数決的にもストーリー的にもこちらの方が本来の伝承だと見て良さそうである。「ニギハヤヒとは実は崇神」というこの小論の見方もこの『日本書紀』や『旧事本紀』型のニギハヤヒ伝説を前提にしている。

 そのニギハヤヒ伝説、全くの神話(フィクション)と見る人も多いのだが、官製神話のフィクションと考えるにはどうにも符に落ちないという要素も色々有る。
 王朝の始祖が王都に降臨する、それが出来合いの神話モチーフとしての降臨であるが、日本神話の展開は何故かまるで違う。ニニギは王都とはまるで方向違いの辺境の日向に降臨し、一方で皇室の先祖でも何でもないニギハヤヒが王都の大和に降臨している。しかも、そのニギハヤヒもまたニニギと同じく天神の子だという。本来の出来合いのストーリーに何故わざわざこんな変容を加えたのか、フィクションと見るにはその意図を図りかねる話である。

 仮に私が神話の作者で、机の上で全ての話を作ったとするなら、そもそもニニギを日向へは降臨させない。統治の正統性を言う為の降臨神話であるから、日向のような辺境に降臨してみてもあまり意味が無い。そんな「田舎者の天孫」では有り難みも薄いし、私なら、やはりオーソドックスにニニギを真っ直ぐ王都に降臨させる。
 何等かの理由が有って、例えばその地名の響きの良さに魅かれて日向を降臨の地に選んだと考えるとしても、私が神話の作者ならニギハヤヒを天神の子とはしない。天神の子はニニギ一人で充分である。それでこそ天孫の有り難みが有る。
 というより、これは「有り難み」以前の問題である。この日本を統治する為に天神の子が降臨してくるのであるから、それは本来が一人のはずなのである。一つの国に二人も三人も天神の子が降臨してきたのでは、誰が本当の統治すべき者か分からなくなって混乱する。それでは折角「降臨」というモチーフを使った意味が無い。実際、『日本書紀』の中でナガスネヒコは神武に対して次のように問い正しているが、まことにもっともな主張である。

 「むかし、天神の子が天磐舟に乗って、天から降ってこられました。これを櫛玉饒速日命と申し上げます。この方が私の妹の三炊屋姫を娶って、児をお生みになりました。この児を可美真手命と申します。それで私は、この饒速日命を君として、お仕えいたしております。いったい天神の子が二はしらおられるはずはありません。それなのに、どうしてさらに天神の子と名のって、人の土地を奪おうとされるのか、私の考えではこれはきっとにせものにちがいない。」

 ナガスネヒコの主張は堂々としており、筋が通っている。神武に敵対したために大悪人とされてしまっただけで、実際のナガスネヒコは立派な人だったのではないかとも思えてくる。忠誠を尽くしたそのニギハヤヒの寝返りで滅びたのは気の毒なようでもある。
 それはともかく、ニギハヤヒも同じく天神の子であるのなら、そのニギハヤヒから国を奪うことには正義が無いし、ナガスネヒコの言う通り、この日本を統治する為に降臨して来る天神の子が二人いるのはおかしい。神武の大和平定を正当化するには、天神の子はニニギ一人だけにしておく方が神話的にはずっと良い。
 それであればナガスネヒコの主張に完全に反論出来るし、それが出来合いのモチーフでもあるし、この伝説が机の上で作られた全くのフィクションなのならそうした出来合いの展開そのままで良さそうなものであるが、しかし、実際の神話はそうなっていない。
 神武はナガスネヒコが証拠として差し出した天羽羽矢と歩靫(やなぐい:矢を入れて背中に負う道具)を見て、「これはつくりごとではなかった」と言う。ニギハヤヒもまた天神の子であることを神武自ら認めるのである。神武は更に、「天神の子といってもたくさんいるのだ」とも言っている。私は、「天神の子」というのは特別な存在なのだとばかり思っていたのだが、別にそれほどのものでもないらしい。

 私が神話の作者で、 大和朝廷の統治の正統性を主張する為に『日本書紀』を編したとするなら、こんな妙な話は作らない。神武が大和でニギハヤヒを服属させたというストーリーを作るのであれば、ニギハヤヒは地祇か土蜘蛛だったとでもしておく。それであれば国を奪ったことにも理屈がつくし、それ以前に、天神の子はニニギ一人が必要で充分である。

 ニギハヤヒ伝説は、官製神話のフィクションとしては作る動機も合理性も全く無い伝説である。フィクションとしての何の必要性も必然性も無い話である。『日本書紀』の編者がこんな妙な話をわざわざ作るはずもないし、実際にそうした伝承が存在していたということであろう。天皇家の先祖がこの大和にやって来た時、そこには同じ高天原から一足先にやって来た大王が既にいたという伝承である。
 そうした伝承が有ったからといって、それだけで即ぐにその伝承が何等かの史実を反映していると言えるわけではもちろんないが、そのニギハヤヒに実在のモデルがいたというのであれば話は別である。
 細かいことはくり返さないが、神武とは実は応神だというのであればニギハヤヒとはつまり崇神。実際、応神が大和にやって来た時そこには崇神から始まる王朝が有った。この時代の大和は実際にもニギハヤヒ系氏族の天下だった。全く同じ筋立ての二回のドラマ、神武伝説の背後に一定の史実が有ったというのであれば、一方のニギハヤヒ伝説、こちらも単なる神話として簡単に無視も出来ないということである。

 正史はニニギとニギハヤヒがかつて同じ所にいたと伝えている。崇神の源流と応神の源流、二本の線の交点を探すという発想で考えてみれば、ひょっとして天皇家の原郷を見つけることが出来るかもしれない。

 
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