ニニギの旅:邪馬台国は本当に東進したのか?

 

 はじめに

 大和朝廷は何処から来たのか?
 九州説の人には邪馬台国東進論が多いが、素朴な疑問が有る。

 古代の大和朝廷と強く結びついていたのも、古代に栄えたのも、九州の中では南九州の日向であって北九州ではない。
 例えば、古い時代の天皇の后妃で九州系の人はその全てが日向の姫で、北九州出身の妃はたったの一人もいない。古代の北九州に日向に匹敵する古墳群は無いし、日向の諸県君牛に比べられる人もいない、
 北九州には大和朝廷の故地としての存在感が何も無い。大和朝廷が北九州から来た勢力だったようにはとても見えないということである。

 この小論は応神=神武説に従うが、ただ、それだけでは大和朝廷前史はまだ見えてこない。
 大和朝廷は何処から来たのか、それを解くキーマンは恐らく崇神である。
 「応神が神武」という見方を裏返せば、ニギハヤヒと崇神が重なる。崇神をキーマンと書いたのは、記紀が共にニニギとニギハヤヒは同じ所から来たと伝えていることである。

 ニニギ伝説もニギハヤヒ伝説ももちろん神話であるが、応神や崇神は恐らく実在の天皇である。応神の源流と崇神の源流をそれぞれ辿って行って、もしそこに接点(交点)が見つかるなら、その接点の地が天皇家の原郷(神話的に言うなら高天原)かもしれないということになる。そして応神の源流と崇神の源流は実際に接点を持っている。
 神話のニギハヤヒはそこから直接大和に来たとされる。そのニギハヤヒの旅は、実はかなりの程度検証出来る。
 それでは神話がニニギと呼んでいる天皇家の先祖はそこからどういう旅をしたのか。神話かぶせでなくそれを検証出来るのか、それが考えてみたいことである。

 そもそも降臨とは何だったのだろう?
 ニニギ伝説には全くリアリティが無いと言う人の多くは、「日向は天皇家の先祖が拠点としたくなるような魅力的な地ではない。」と言う。
 この小論ではニニギの降臨は(プルではなく)プッシュの要因で起きたと見るが、実はそう考えて初めて、本拠地を捨てて東征という乾坤一擲の大勝負に出た神武の心が見えてくると思う。

 以下、この小論の内容について簡単に記せば、
 序 章では、大和朝廷の始祖は応神であることを言う。
 第二章では、その応神は実際には日向から来たことを言う。
 第三章では、崇神の出自を考える。
 第四章では、応神の源流と崇神の源流には実際に接点が有ったことを確認する。
 第五章では、降臨がプッシュの要因によって起きたものだったことを見る。
 第六章では、そのニニギには実在のモデルがいたことを言う。

 まあ、筆者本人は大真面目でも所詮はコジツケ話。ご笑読頂けたら幸いです。
 
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